『残陽』に私は何を見たのか

 10月から11月にかけて、福岡、東京、愛知と3都市6公演でおこなわれた『ラブライブ!蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブ 1st Live Tour ~RUN! CAN! FUN!~』が先日幕を閉じました。

 「バーチャルスクールアイドルがどんな感じなのかとりあえず見てみるか……」という気持ちで触れた結果、今ではすっかり蓮ノ空のこと好き好きクラブの一員になってしまった私は、その熱量に身を任せ、全公演に現地で参加しました。どの公演、どの楽曲も思い出深いものでしたが、そのなかで特に一つ印象に残っているものを上げるとしたら、やはり『残陽』です。

 『残陽』は、初演でのバックハグで見る者に衝撃を与えただけでなく、さらにそこから公演を重ねるごとに変化していくという仕掛けで、間違いなく今回のライブツアーの注目ポイントとなっていたかと思います。この変化に関しては、乙宗梢役の花宮初奈さんもXでそれらしき言及をしています。

 

 

 さて、この『残陽』に対して、皆さんは1stライブツアーを通してどんな感想を抱いたでしょうか。

 おそらく皆さんそれぞれが違った考察、解釈をしていて、そういったなかでこの曲に対しての想いを深めているかと思います。そして、中にはすでにそういった感想をブログ等にまとめてくださっている方もいらっしゃいます。

note.com

 特にこちらの記事は、私が『残陽』の内容を振り返り、考える際に非常に参考にさせていただきました。この場を借りてお礼を申し上げます。素敵な記事をありがとうございました。

 この記事のほかにも、多くの方々の感想を参考にさせていただきつつ、『残陽』についてしばらくの間いろいろと考えていました。その考えを整理するためにも、今回の記事では『残陽』について私が感じたことを書いていこうと思います。時間の経過とともにだんだん記憶が怪しくなってきているうえに、他の方がすでに述べられていることとの重複が多くなってしまうかと思いますが、どうか最後までお付き合いいただけますと幸いです。

 

目次

 

そもそも『残陽』とはどんな曲なのか

 『残陽』は、2023年9月20日に発売された1stアルバム『夏めきペイン』に収録されたスリーズブーケの楽曲です。

www.lovelive-anime.jp

 王道アイドル路線の楽曲が多いスリーズブーケのなかでは珍しい、大人な感じのメロディと切ない歌詞が特徴的な楽曲となっております。歌詞については、一つ一つの表現を追っていけばおそらくそれだけでブログ記事が出来上がってしまうくらい素晴らしいのですが、ここでの解釈としては、

近しい関係にある人に対して、その関係以上の感情を抱いてしまったものの、今の関係から一歩踏み出す勇気は出せず、今のままの関係でそばにいることを選ぶ物語

くらいに留めておこうと思います。

ライブでの『残陽』を考えるその前に:本記事の前提

 『残陽』がどんな曲かを振り返ったところで、さっそく本題に入りたいところですが、その前に本記事で『残陽』を考えるうえでの前提をそろえておきたいと思います。

 本記事では、次のことを前提として話を進めていきます。

  • 花帆と梢が、『残陽』の歌詞における登場人物を2人と設定し、ライブの『残陽』ではその2人の物語をパフォーマンスに落とし込んだと仮定する
  • その登場人物2人をそれぞれA, Bと呼ぶこととしたうえで、振り付けでは花帆が登場人物A、梢が登場人物Bを担当しているとする

 「いきなりよくわからない前提を話し始めて何がしたいんだ……?」と思われるかもしれませんが、この先の話を進めるうえでどうしても必要な前提なのでどうかご容赦ください。

 さて、本記事の前提について説明したので、いよいよ本題に入っていきます。

福岡公演Day1の『残陽』:『臆病で狡い答え』とは何か

 福岡公演Day1で初披露となった『残陽』の大まかな流れを説明すると、

  1. 下手側で花帆、上手側で梢が一番二番をそれぞれのソロメインで進行
  2. ラスサビ前にステージ中央へ移動
  3. ラスサビ直前でステージ中央で梢が花帆を後ろから抱きしめるものの、抱きしめるその手は振り解かれる
  4. それでも梢は花帆の腕をすがるように掴んだ状態でラスサビに入るものの、その手も離れてしまい、その状態でラスサビが進行
  5. お互いが振り返って見つめ合う形で終了

となっています。

 3からの流れは、まさに上で述べた歌詞の内容を反映したようなものになっており、そのことからも花帆と梢はそれぞれ歌詞の物語の登場人物A、Bをそのままステージ上で表現したのではないかと考えています。

 そのうえで特に注目した (というか注目せざるを得なかった) のは、3のところです。

 後ろから抱きしめる梢は相手の方に顔をうずめるような形で下を向いており、花帆はおろか観客席からもその表情は見えませんでしたが、抱きしめるその様子は相手への想いの強さを感じさせるものでした。

 相手への強い想いを、真正面から相手の目を見て伝えて、その答えを受け止めることはできない。それでも、どうか私のもとから離れないでほしい。

 梢の表現する登場人物Bにとっては、この想いを込めたバックハグこそが『臆病で狡い答え』だったのだと思います。

 一方で、花帆の表現する登場人物Aはどうでしょうか。

 梢に後ろから抱きしめられた花帆は、一瞬ハッとした表情を浮かべて顔を上げますが、その後つらそうな顔をして梢の腕を振り解いていました。

 登場人物Aは、抱きしめられた時点で相手の気持ちには気づいていて、もしかしたら自分も同じ気持ちだったのかもしれません。それでも、登場人物Bの気持ちを受け入れる勇気はなく、苦しみを感じながらも腕を振り解くことしかできなかった。

 登場人物Aもまた『臆病で狡い答え』を返してしまったということなのでしょう。

福岡公演Day1の『残陽』の図解
ステージ上で表現される物語は歌詞の物語と同じです

 ここまで書いてきたことをもとに話すならば、花帆と梢にとっての『残陽』も、歌詞の通りに悲しい結末を迎える物語なのですが、東京公演からこの物語は変わり始めていきます。

東京公演の『残陽』:変化の兆し

 福岡公演から約1か月後の東京公演では、両日で『残陽』が披露されました。両日ともにパフォーマンスの大まかな流れは福岡公演Day1のときと変わっていませんが、一つ大きく変わった点として、梢から抱きしめられたあとの花帆の表情が挙げられます。

 福岡公演では、抱きしめられたあとにつらそうな顔をしていたのに対して、東京公演では、まるで抱きしめられたことに嬉しさを感じているような笑みを浮かべていました。この表情は、歌詞の物語からは少し想像しにくい表情だと思います。

 それでは一体この表情は何なのか。

 私は、これは登場人物Aの感情ではなく、花帆自身の感情の表れではないかと考えています。

 福岡公演が終わってから、花帆は自分なりに改めて残陽の登場人物の気持ち、そしてこの物語を花帆と梢に当てはめてみたら自分はどう感じるかを考えたのかもしれません。

「もしあたしが梢センパイからこうやって思われていたら。」

 その問いの答えが、「嬉しい」「その気持ちに応えたい」であり、あの笑みはその表れだとしたらいいなと私は思いました。

 ただ一方で、梢は福岡公演Day1と同様に抱きしめるときは下を向いており、上で述べた花帆の表情の変化を梢が見ることはありませんでした。この時点では、梢はまだ自分の感情ではなく、登場人物Bの感情を表現することを優先しているように思います。

東京公演の『残陽』の図解
登場人物Aには花帆の感情による変化の兆しが生まれています

 もともとの歌詞の物語から何か変わり始めている。でも、劇的な変化が生まれるにはまだ足りない。

 そんな変化への予感を残した東京公演の一週間後、ついに愛知公演で花帆と梢の『残陽』は大きな変化を迎えます。

愛知公演Day1の『残陽』:『臆病で狡い答え』からの脱却

 愛知公演Day1では、ラスサビ直前の部分が、次のような流れになっていました。

  1. 梢が花帆を後ろから抱きしめる
  2. 花帆がハッとした表情を浮かべつつ顔を上げる
  3. 梢が顔を上げて花帆のほうを見ると同時に花帆が梢のほうを振り返る
  4. 目があったのちに花帆が梢に向かって幸せそうに笑う

 1と2はこれまでと同じですが、3からはこれまでと明らかに違います。この違いを見るうえでまず重要だと思ったのは、梢の行動がこれまでと変わったということです。

 相手のほうを見てしまえば、もしかしたら知りたくない答えを明確に突き付けられてしまうかもしれないから、顔を向けることができなかった。でも、それでもこの公演では勇気を振り絞って、相手のほうを見た。

 この変化は、梢が歌詞の登場人物Bの感情をただ再現しているだけでは生まれなかったものです。改めて歌詞、さらには花帆への気持ちと深く向き合い、「私だったらこうしたい」という感情が生まれたからこそ、梢はここで「相手のほうを見る」という変化を入れることができたのだと思います。

 登場人物Bの臆病さ、狡さは、気持ちを伝えるときに相手をしっかり見れないということでした。これを踏まえると、梢自身の感情の表れのおかげで、登場人物Bは『臆病で狡い答え』から一歩踏み出して、これまでとは別のキャラクター、いわば登場人物B'に変わることができたと言えるのではないのでしょうか。

 そして、もう一つ重要だと思ったのは、花帆が梢に対してはっきりと笑みを返したという点です。

 東京公演の時点で、花帆の表情には笑みという変化がありましたが、その笑みを想いに対するアンサーとして梢に明確に返すことはできていませんでした。それに対して、愛知公演Day1では梢のバックハグおよび目線に対してのアンサーとして笑みを送っています。

 歌詞の登場人物Aの臆病さ、狡さを振り返ると、それは相手の気持ちを受け入れる勇気がなかったということでした。つまり、花帆が笑顔というサインを梢に送ったおかげで、登場人物Aもまた『臆病で狡い答え』から一歩踏み出して、登場人物A'に変わることができたのではないかと思います。

 さらに、この花帆の笑みは梢の目にも入っていました。この笑みによって、登場人物B'は相手の気持ちが自分の恐れていたものではなく、むしろ気持ちが通じ合っているということに気づくことができたのではないでしょうか。

 まとめると、愛知公演Day1の『残陽』は、花帆と梢の二人の感情のおかげで、登場人物たちが『臆病で狡い答え』から踏み出し、その先でお互いの気持ちを確かめ合えた回だったと私は考えます。

愛知公演Day1の『残陽』の図解
花帆と梢の感情によりついに物語が分岐しました

愛知公演Day2の『残陽』:花帆と梢の『残陽』

 愛知公演Day2の『残陽』は、誰もが予想できないほどに大きな変化が生まれていました。具体的にはバックハグあたりからの流れが次のように変わっています。

  1. 梢が花帆の後ろではなく正面に立つ
  2. 梢がうつむく花帆の顎をくいと持ち上げて自分のほうを向かせる
  3. 梢が花帆を力強く抱きしめると同時に、花帆も梢を受け止めて抱きしめ返す
  4. 笑顔で少しの間抱きしめあったのちに、片方の腕を絡めたまま体を離す
  5. 引き続き片方の腕を絡めた状態で見つめ合いながらラスサビを歌い始める
  6. 名残惜しそうに手を離すものの、二人の表情に悲しみはなく、最後もお互いに振り返って笑みを浮かべる形で終了

 あまりにも変化が大きくかつ衝撃的なので、どこから考えればいいのかわからなくなってしまいそうですが、この変化についても私なりに考えていこうと思います。

 まず注目したいのは抱きしめ合うまでの梢の行動です。ここの行動を、福岡公演Day1と比べてみると、

  • (愛知Day2) 正面から抱きしめる
    ⇔ (福岡Day1) 後ろから抱きしめる
  • (愛知Day2) 花帆に自分のほうを向かせて目を合わせる
    ⇔ (福岡Day1) 花帆の顔を見ない

といった形で、真逆の行動になっていることがわかります。

 愛知公演Day1で自らの臆病さ、狡さに打ち勝って相手と気持ちを確かめ合えた登場人物B'は、もう臆病になる必要はありません。

「私の気持ちをまっすぐ届けるから、それをしっかり受け止めてほしい。」

 愛知公演Day2の梢のハグには、そんな登場人物B'の強い想い (あるいは覚悟) が表現されているように感じました。

 また、そういった梢の行動に対する花帆の反応も注目したいポイントです。

 登場人物A'ももう歌詞の物語のように臆病になることはなることはありません。相手からの想いをしっかり受け止めて、抱きしめ返すことで想いに応えているように思えます。

 福岡公演Day1から愛知公演Day2まで、歌っている『残陽』の歌詞はずっと変わっていません。しかし、ステージ上で花帆と梢が表現する物語は、1stライブツアーの公演を通して、歌詞の悲しい物語とは異なる、二人が勇気を出してお互いの気持ちを伝え、受け止め合うことで、その関係を幸せなものへと深めた物語に変化したのではないのでしょうか。そして、笑顔で抱きしめ合う二人の姿は、そのハッピーエンドを象徴するもののように感じました。

愛知公演Day2の『残陽』の図解
花帆と梢が紡ぐ物語は幸せなものでした

『残陽』の変化と蓮ノ空の伝統のあり方

 上で述べてきた通り、1stライブツアーを通して、スリーズブーケは『残陽』の物語を自分たちの手で新たに作り直し、それをステージ上で表現することで、観客に大きな驚きと感動を与えました。ただ一方でこれは歌詞が本来持つ物語から逸脱する行為という見方もできるかと思います。

 『残陽』が伝統曲かどうかは定かではないですが、多くの歌が伝統として受け継がれている蓮ノ空において、今回のように歌詞のもともとの物語とは違った表現をするということは、どういった意味を持つのでしょうか。

 もしかしたら、「本来の歌の物語を変えることなく正確に再現し続ける姿勢こそが、伝統を重んじて継承し続ける蓮ノ空としてふさわしい」という考え方もあるのかもしれません。ですが、私はむしろ「歌詞の物語をもとに新たに自分たちだけの表現を作り上げる」という行為こそが、蓮ノ空の伝統を受け継ぐということなのではないかと考えます。

 蓮ノ空は各ユニットで曲を伝統として受け継いでいきますが、それを歌うメンバーは当然変わっていきます。さらに、時が経てば取り巻く環境や流行も変わっていきます。そういったなかで、各代のユニットメンバーは、受け継いだ曲に込められた想いを自分たちなりに読み解き、それを自らの考えや感情と照らし合わせながら表現に落とし込むことで、パフォーマンスを作り上げていくのだと思います。

 そのパフォーマンスで表現されることは、その曲が生まれたときに意図されたものと必ずしも一致するとは限らないでしょう。しかし、それは今の彼女たちにしかできない唯一無二の表現であり、それこそが今を生きるスクールアイドルにふさわしい表現だと言えるのではないでしょうか。

 このようにして、伝統をただそのまま受け取るのではなく、今の自分たちだけのものに変えていくことで、スクールアイドルのパフォーマンスとして完成させる。これこそが蓮ノ空における伝統の継承なのだと私は思います。

 未来のスリーズブーケの『残陽』は、きっと花帆と梢の『残陽』とはまた違ったものになるのでしょう。そういった変化も楽しむということが、代が変わっても蓮ノ空を応援していく醍醐味なのかもしれません。

『残陽』の変化が花帆と梢に与えたものとは

 話が蓮ノ空の伝統まで広がったところですが、ここで話を今のスリーズブーケに戻します。

 『残陽』の物語を再編する過程で、花帆と梢は自分自身の相手への感情を表に出し、登場人物たちを変化させていきました。このことは物語だけでなく二人の関係にも何かしらの変化を与えたと考えることはできないでしょうか。ここでは、まず梢に着目して考えていきます。

 梢が花帆に対して深い愛情を持っていることについては、活動記録や日々の配信などを見れば明らかと言ってもいいでしょう。そして、その愛情が決して完全な一方向ではないことも、花帆の梢に対する言及などから見て取れます。しかし、果たして梢はその花帆からの気持ちを理解できているのでしょうか。

 実は福岡公演6日前のWith×MEETS『後輩のベストショットを持ってこ~い!』にて、そのことに関してこんな話をしています。
(下リンクでの再生指定箇所3:38から約40秒間ほどの会話をお聞きください)

youtu.be

 サムネがあまりにもかわいすぎでは??最高か??
 上の動画の会話からわかるように、福岡公演前の時点では、梢はどうやら花帆からの愛情についてそこまで自信が持てていなかったようです。

 さて、ここで改めて福岡公演Day1にて梢が表現した、『残陽』のもともとの物語における登場人物Bについて振り返ります。登場人物Bは、登場人物Aに対してまっすぐ正面から想いを伝えることができなかったからこそ、後ろから抱きしめるだけという『臆病で狡い答え』を取らざるを得ませんでした。これは登場人物Aからの自分への想いを信じることができなかったということに起因しているように思えます。

 つまり、「相手からの想いを信じることができていない」という臆病さを持っている点では、1stライブツアー前の梢と登場人物Bは共通していると考えられます。

 ここから1stライブツアーを通して、登場人物Bは梢の感情の表れにより『臆病で狡い答え』から踏み出していくわけですが、これは梢が「花帆からの気持ちを信じきれない」という自分自身の臆病さに打ち勝ったということでもあるのではないでしょうか。愛知公演Day2で梢が見せたあの迷いのないハグはまさにその象徴だった。私はそう信じずにはいられません。

 対して花帆はどうでしょうか。花帆は、東京公演で笑みを浮かべた時点で、梢に対する自分自身の想いがどういったものなのかを確信できていたように思えます。そのうえで、愛知公演Day1で花帆はしっかり梢に見える形で笑みを返しますが、ここには物語の登場人物の感情のみではなく、
「梢センパイからここまで強く想ってもらえてすごく嬉しいです。だからもっとその想いを全力でぶつけて大丈夫ですよ。」
という花帆自身の梢に対する気持ちもこめられていたのかもしれません。もしそうだとしたら、梢が自らの臆病さに打ち勝ったあの正面からのハグは、花帆にとっては最高のお返しであり、だからこそ花帆もそれに応えるように抱きしめ返したのだと思います。

 このように、物語の変化のなかで登場人物たちがおこなった感情のやり取りは、花帆と梢自身の感情とも強くリンクしており、『残陽』を通して花帆と梢も絆をより深めたのではないかと考えます。

おわりに

 かなり長くなってしまいましたが、ここまで私が『残陽』が感じたことをまとめてきました。ここに書いたことはあくまで私の感想であり、何かしらの正しさを持ったものでは決してありません。早ければ数日後には、あのパフォーマンスに込められた想いがご本人たちによって語られ、私が書いたことが的外れだったとわかる可能性だってあるでしょう。しかし、今ここに感想を残したことは決して無駄なことではなかったように思えます。スクールアイドルが「今」を大切にするように、私も「今だからこそ感じられること」を大切にできたのなら、この記事を書いたことにも大きな価値があったのだと私は信じています。

 ここまで読んでくださった皆さん、お付き合いいただきありがとうございました。この記事が、皆さん自身が感じた『残陽』と向き合うきっかけになれば幸いです。

 そして、ツアーを通して最高の時間を届けてくださった蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブおよびスタッフの皆様、本当にありがとうございました。次のライブも楽しみにしています。

あの日かかった魔法の話 ~ ペイトン尚未1st LIVE「魔法」に参加しました ~

このページを開いてくださった皆さんありがとうございます。

 

その瞬間感じたこと、考えたことを文章に残すために開設してみたこのブログですが、その最初の記事として、今回はライブの感想を書こうと思います。

 

さて、私は3/21 (火・祝) に日本橋三井ホームで開催されたペイトン尚未さんの1stライブに参加しました。

このライブは自分にとって思い出深いイベントになったので、今回はそのとき感じたことを文章に残そうと思います。

 

 

ペイトン尚未さんといえば、曲の世界観や感情を巧みに表現できる高い歌唱力

そんな表現力豊かな歌唱をソロライブという形で思う存分聴ける機会ということで、この1stライブを待ち望んでいた人も多いのではないでしょうか。

そして今回のライブは1stシングル「魔法」をリリースしたうえでのライブということで、収録されている「魔法」と「リコルド」の2曲が聴けるであろうことはもちろんだったのですが、披露されるであろう曲はその2曲のみではないわけで、いったいどんなセットリストでどんなライブになるのか、全く予想できないワクワクを胸にライブに臨みました。

 

会場近くでは1stライブ開催を祝うかのように桜が咲いていました



そんな気持ちで臨んだライブの感想ですが、一言で表すとすれば

本当に贅沢な時間だった

これに尽きます。

 

観客と一緒に盛り上がる曲からしっとりとしたバラード曲、さらにはミュージカル調の曲と、とても幅広いセットリストだったおかげで、ペイトン尚未さんの表現力を余すことなく楽しむことができて非常に満足度が高かったです

セットリストのあまりの幅広さに、音楽について浅学な私は、1stシングルの2曲と、歌コレでカバーされていた「妄想感傷代償連盟」以外は、ほとんど「サビでやっとどの曲かわかる」or「完全に初めて聴く」といった状態だったのですが、むしろそのおかげでフラットな気持ちで表現を楽しめたのかもしれません。

 

もちろんこれだけ幅広いセットリストでも置いてけぼりにならず楽しめたのはペイトン尚未さんの高い歌唱力があってこそ。

予想外の曲であっても、彼女が歌い始めれば一気にその曲の世界観が広がり、聴いているこちらも一瞬でその世界に引き込まれていました。

 

そして、次々と広がる世界観に引き込まれ、会場の一体感が最高潮に達した終盤。

アンコールで「魔法」をみんなで歌ったときの、会場全体で思いを共有してこの瞬間を作り上げている感覚は強く印象に残っています。

この一体感があったからこそ、あれだけのダブルアンコールが起こったんだと思います。

 

 

ここまで書いた通り、今回のライブは本当に素晴らしいライブで、それだけでも思い出深いものだったのですが、自分にとって思い出深いものになった理由はもう一つあります。

それは、このライブを通して感じた自分の心境の変化です。

 

私は昔から、何かを好きになっても、周りの目などを気にしてしまう性格からなのか、その熱意にセーブをかけてしまうことが多くありました。

そのため、自分の中の「好き」に素直になってそれを全力で表現している人たちを見ると、その熱量に圧倒されて、「そこまでになれない自分は、本当に「好き」だと言えるのだろうか」と心のどこかで感じていました。

 

「好き」という気持ちはほかの人と比較するようなものじゃない。

そのことはもちろんわかっているのですが、頭でわかっていても自分が感じる負い目のようなものはなかなか拭えず。

今回のライブが始まったときも、周りの人たちの熱意溢れる「好き」を感じて、「自分はこの人たちくらいこのライブを全力で楽しめているのかな」と少し思ってしまうところはありました。

 

それでも、次々と表現される多様な世界観を感じているうちに、これまで行ったライブで感じてきた楽しさとはまた違う、まるで美術館でたくさんの芸術に触れたあとのような楽しさがいつの間にか自分の中に芽生えていました。

そして、そのことに気づいた瞬間、私が感じていた「自分はこのライブを全力で楽しめているのだろうか」という気持ちは一気になくなりました。

 

もしかしたら自分の楽しみ方はほかの人とは少し違うかもしれない。

それでも自分はこんなにもこのライブを楽しめているんだ。

 

このとき、私は自分の中の「好き」を心の底から認めることができた気がします。

そこから先の、自分の「好き」を認められたうえで見るライブは、自然と口角が上がってしまうほどに楽しく、かけがえのないものになりました。

自分の気持ちをなかなかうまく認めてあげらなかった私に、こんなにも素敵な「魔法」をかけてくださったペイトン尚未さんには、感謝してもしきれません。

素晴らしいライブを、そして浪漫てぃっくな魔法を、本当にありがとうございました。

 

 

ここまで初めての拙いブログ記事を読んでくださった皆さん、ありがとうございました。

やはりまだ自分の中の気持ちをこういった形で表現するのには慣れていないので、たくさん更新するのはまだまだ難しいですが、自分のペースで書いていければいいなと思います。

 

最後に、

私はペイトン尚未さんの歌声が、表現力が大好きです。

次のイベントを心から楽しみにしています。

終演後、桜色にライトアップされた桜並木にて